Aqua-Iris💐お化けが怖い霊能者/スピリチュアルカウンセラー

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“お手伝い”はいいこと?

私は3歳から鬱で父が寝たきり

小3から母子家庭で育ったが

友達とはなんか違うなー

薄々感じながら生活していた。

 

 

それが何が違うのか、あまり向き合う気もなく

深掘りして気がつくのも怖くて

子どもながらに目を背けてきた。

 

 

 

主にどんな違いを感じていたかというと

 

 

・遊ぶ時間がない

・友達を呼べない

・自由時間がない

・常に何かに追われてる

 

 

あまり、子どもらしくないと言ったらいいのか

そんな感じの心持ちで、なんでこんなに

常に心に引っ掛かりがあり苦しいのか

なんでこんなに、未来が暗いのか…

そんな風に思っていた。

 

その理由を最近になって、やっと

対峙してみよう❗️と心して書き出してみた。

ザッとメモに書いた愚痴一覧↓笑

 

 

なんで料理も洗濯と掃除も私?

みんなと遊びたい/みんないいなぁ/ゲームで遊んだはるー羨ましい/部活今日も早退かぁ、先輩怒ってるやろなぁ、でも家のことしないと/冷蔵庫にある残り物とこれで、とりあえずパパーっと作ろう/洗濯回してる間にこれしてあれして/あ!ごめんね!今日も無理やねん、また誘ってね/明日もちょっと作り置きだけでいけるように頑張ってみるわ!

 

 

とりあえず書ける分でこんなもん😅

これを小学生の頃から思ってた私。

子どもが親の役目も担っている

これが当たり前、そういう家庭

これが家族と思い込んでた私。

そして、もちろん自分のためにじゃなく

お母さん頑張って働いてくれてるから

大切なお母さんを助けるため

お母さんが倒れないようにするため

という想いが強かった。

母子家庭で母がいなくなれば自分は1人。

何よりもそれが不安だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これってヤングケアラーじゃない?

 

最近出てきた言葉よね?

昔はあまり知られていなかったし

私みたいに、知らず知らずのうちに

ヤングケアラーだった❗️って人

意外と多いかもしれない。

 

なんなら、昔はお手伝いが当たり前よ!?

なんて言う人もいるかもしれないけど

お手伝いヤングケアラーの違いって

きっと、優先すべき点に相違があると思う。

 

 

 

 

 

お手伝いとは…

子どもが自ら、自立のために学んでいく事。

いつも親がやっていることを、親に教わりながらやったり、今日は洗濯、今日は洗い物をしようね✨

と一つ一つ段階を作って成長していくこと。

また、本来の子どもの仕事である

遊びと勉強が最優先であり、家事をすることは

あくまで人生経験として、少しの合間に

ちょっとやるかー”という感じ。

認められながら、共に生きていく雰囲気

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤングケアラーとは…

家族の代わりに家事、育児、介護を担い

子どものすべき勉強、遊びは後回し。

生きるため、生かすために

自分が率先して生活を回す様。

自分がいなければ、家族が崩れる

そんな危機感、不安感を常に抱いている。

やらなければならない気持ちが強い

 

 

 

やっぱり、全然違うよね?

お手伝いと親が思っていても

子どもからしたら、やらされてる

と感じることもあるかもしれないが

子どもにとっての当たり前の権利

を奪っているかどうか、が結構大きな

ポイントな気もする。

 

 

 

 

私は完全にヤングケアラーだと気付いた

 

 

 

遅かった気もするが

あえて見ないようにしてたのが現実で

これを、あの頃の私が知っていたら

どうしていただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうにもできなかったと思う

 

 

気付いていても、気付かなくても

その立場にいる子どもにとっては

やらなきゃ!生きなきゃ!守らなきゃ!

が優先するし、誰かに相談することが悪

と感じていたと思う。

 

 

ヤングケアラーって

ある意味の洗脳だと思っていて

これが当たり前

これがあなたの生活の一部

そんなイメージを知らず知らずのうちに

埋め込まれてしまってる感覚

 

 

 

もはや、ヤングケアラーって

虐待やん❗️とさえ思う今日この頃

 

 

 

だから、周りに相談できないし

しようともしないし、どうにもできない

 

 

じゃあ、どうしたら良いのか

 

 

それは、やっぱり

家族のあり方

というものを、皆が知り

園や学校でも伝えていくべきだと思う。

 

 

将来ほぼ使わないであろう授業をカットし

その時間を、こういった

人の生活として当たり前のこと

を学ぶ、共通認識し合える時間にして欲しい

 

 

道徳とはまた違う

当たり前の授業。

そして、それが、人種が違えど

LGBTであっても、皆が手を取り合って

それさえも普通の社会になるように。

おかしいことは、それなんで?

と語り合える場を授業という形で

取り込んでいってもらえたらなと思う。

 

 

自分と違うことをなぜ?

と思うことは当たり前やし

逆にそれを聞いてはいけない

触れてはならない雰囲気が強かった過去。

 

でも、そうじゃない

 

それでは根本解決に至らない

 

不思議だと思ったことは聞けばいい

 

もちろん傷つけない聞き方は必要だけど

聞かずにいるから、漠然と

触れてはならない存在と化す

 

もっと話し合う時間を

子どもたちにはとってほしい

 

 

 

別に上手く話せなくてもいい

別に勉強ができなくてもいい

 

 

ただ、お互いを気付き、気にかけ

想いやってほしい

 

 

黒板に向かう

本に向かう、PCに向かうのではなく

人と顔を合わせて沢山話すことが

勉強の全てなのではないかと私は感じる

 

そこで、自分の今いる環境が

いいものなのか、そうじゃないのか

気付く人が出てくるはずだから

 

 

 

 

 

 

 

 

早く気付けば救える心があると

皆が知っていて欲しい